白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

入院するまで・・・ その3 つづき

2005年12月25日(日) つづき

 

私は子供に血尿をどう説明していいか分からず、一瞬考え込み、「そうなの。何でオシッコが血なのか分からないから、お医者さんによく見てもらうんだ。」としか私の頭は働きませんでした。


私も不安で、自分がしていることも分からないくらいでした。しばらく、子供達、母、旦那と過ごし、子供達と母は帰りました。旦那は、何も私が言わなくても、そばにいてくれました。


一人になるのが嫌で、消灯の時間が近づくにつれ、言い表せないくらいの不安が襲ってきました。消灯時間になると、看護師さんが「旦那さん、泊まっていかれますか?」と聞いてきました。


私も旦那もつ付き添いは出来ないと思っていたので、私は「よかった・・・。」と、うれしかったです。旦那も、「家に帰っても気になって寝れないからよかった・・・。」と、お互い安心しました。


旦那は、冷たい床に、ゴザを敷き、その上に布団を敷き・・・何だか申し訳なく思いました。

夜はなかなか寝付けず、明日の検査の不安や、何の病気か・・・分からないからなおさら不安で、「骨髄検査って痛いだろうな・・・」「白血病じゃないよね・・・」「お家、帰れるよね・・・」「死なないよね・・・」「血小板減少性紫斑病ってなんだ・・・」などなど・・・


私は旦那に言っていました。旦那は、「大丈夫。明日の検査してみないと分からないからさ。今日はとりあえづ、寝たほうがいいよ。」と言ってくれました。


旦那が、「でもさぁ~、こんなクリスマスプレゼントほんと、いらないんですけどぉ~。」と言い「私も・・・」と言い、いつの間にか私も旦那も眠っていました。