白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

出会いと別れ①

入院期間 7ヶ月。

その間にあった出来事で絶対忘れてはいけない出来事をここに残していこうと思います。

 

私の入院した病院には、完全クリーンルームは無くセミクリーンルームでした。

でも、治療中は部屋から一歩も出ることも許されず窓も二重サッシ。

小さな個室でいつ起こるかわからない出血に怯えながらも時が経ち回復してくいくことだけを願ってただただ時間を過ごしてました。

この部屋に入るとき、私は2枚のCDだけを持ってその部屋に入りました。

コブクロの『桜』と『ここにしか咲かない花』

桜は本当にずーーーーーーーーーーーーーっとリピートで何度も何度も聞いてました。

窓の外は真っ白な雪景色。でも私は、春には絶対『桜』をみてやるんだ!!って気持ちで真っ白な世界に桜の木を描いていました。

2週間がヤマだって言われてても死ぬ気はしなかった。

子供達置いて死ぬなんて無責任だって思ってました。

DICものりきり、最初の治療も落ち着いた時、担当の看護師さんが

『会わせたい人がいるんだけど』

って言ってきてくれました。本当ならクリーンルームの往き来は禁止なのですが、私がまだ若く突然の病気に向き合う事が負担だったと思ってくれていて看護師さんは一人のお婆さんに会わせてくれました。

 

看護師『○○さん!この方ですよー』

と紹介され私は驚きました。

この人が病気???って位、元気で凄く素敵なキラキラした笑顔。お婆さんなんて全然感じない位、若々しく素敵な笑顔の人でした。

そのお婆さんは私に

お婆さん『まだ若いのにね~…病気は何?』私『白血病です…』

お婆さん『何で自分が?って思うでしょ?でもね、私はそんな風に思わないの。乗り越えられない試練は神様はあたえないのよ!』

そう笑顔で私にいってくれました。

私『○○さんも白血病ですか?』

と聞くと

お婆さん『私?私はね骨髄異形成症候群からの白血病。もう治らないの!半年って言われたわ。』

その言葉を聞いた瞬間感じたのは

『死を覚悟した人ほど笑顔で強い人は居ない』

その時の私には、笑顔の理由がわかりませんでした。ただただ、死を目の前にして笑顔でいるお婆さんが本当に凄いとおもった。

首からいつもカメラを下げてて病室からの写真や廊下に出れる時には他の所から沢山の写真を撮ってました。

その写真をもって私の部屋に来てくれて一緒に写真をみたり話したり折り紙したりして私も笑顔の時間が増えました。

 

私は『虹』が大好きで虹色の物や絵を描いたりしたときは虹が絶対書いてあったり、とにかく虹が大好きで、そのお婆さんが撮った写真を見せてもらったら…なんと虹の写真ばっかで。

私『わぁ!!!虹好きなんですか?私も大好きなんです!元気もらえるし笑顔になれるし本当大好きなんです!』と伝えると

お婆さんはまたキラキラした笑顔で

『うん!元気もらえるよね、!こっち側の病室からは虹がいっぱいみえるのよ!』と教えてくれました。

そして、長く面会できないので、お婆さんが私に虹の写真を1枚くれました。

本当に嬉しかった。

それからも、お婆さんが一時帰宅したり、外出許可おりてお出掛けしてきたり、そういう時は必ず私の病室にきてくれて、どこに行ってどんな事をしてきて、どんなものを食べてきたのか教えてくれました(o^-^o)そういうお話できるのが本当に嬉しかったんです。

春には一時帰宅の時に桜も見に行けない私に桜の写真を撮ってきてくれて

『これが今年の桜だよ!!』って写真をくれました。本当に嬉しかった~~。

 

そして、お婆さんが退院する事になり、最後に私の部屋にきて

『今度、私がこの病院に戻ってくる時はもうダメな時。でも、あなたが元気になって一緒にお出掛けしたいの。元気になるのを私は見たいの!外で会いましょうね!』って約束しました。

そして、私は必ず外で会えると信じて治療しました。

お婆さんが退院してから1か月後。。。

お婆さんは病院に戻ってきました。。。

私も治療で面会もできず。。。看護師さんに『今日も乗り切れた?』って聞くことしかできず。

私は毎日毎日、虹色の折り紙で何かを作って看護師さんに届けてもらいました。

お婆さんが再入院して3日後、看護師さんが『○○さんが会いたがってるから会いに行く??』

と聞かれ、もちろん会いに行きました。

部屋に入り目にしたのは、キラキラ笑顔のお婆さんではなく、身体も浮腫んで色んな機械に繋がるコードだらけのお婆さんでした。

酸素マスクを外し、私の手をギューッと握り私の目をシッカリ見てくれて、お婆さんは私に言いました。

『私もう痛いの嫌なの。だから、これから眠らせてもらうの。眠る前にあなたと最後に話したかったの。私はこの長い人生、あなたの様な綺麗な目をした人に初めて出会った。あなたは生きるのよ。私の分まで。私がまだ生きたいって思う気持ち、あなたに全部…あげる!私は、あなたに住所も電話番号も教えないわ。あなたには笑ってて欲しいから。本当にありがとう。ありがとう。』

そう私に何度も伝えてくれました。そして、お婆さんは薬で眠りにつきました。

それからも毎日、折り紙を届けてもらい、看護師さんと『今日ものりきれたね。良かった。』って話をしたりしていました。

 

私は元々眠れず毎日、睡眠薬を飲んで寝てたので朝まで目が覚める事はないんですが、何故か目がパッ!と覚めた夜がありました。

時計を見ると夜中の2時半過ぎ。

何故、薬のんで寝てるのに目が覚めたのか不思議で仕方なく、付き添いしてくれてた旦那に声をかけました。

そしたら、旦那も何故か起きてたんです。

『俺も目が覚めた。なんでだろ?』

そんな会話をしていたら、病室の扉があいたんです。見回りの時間でもないのに部屋の扉が。。。

そしたら、看護師さんが入ってきて

『あ。すみません。起こしちゃいましたかね?』って。

私達は『目が覚めたんです…不思議なんですよね…』

と答えると看護師さんは

『たった今、○○さん亡くなったの。ご家族が会ってもらいたいって言ってるんだけど行く??準備できたら迎えにくるね。』そう言われました。

私は旦那に『一緒にいく?』と聞いたら旦那は『俺は、笑顔のままの○○さんでいたい。』って言ってました。

私だけ会いに行きました。

家族の方に何度も何度も『ありがとうございました。本当にありがとうございました。あなたと出会ってから、凄く前向きになって、本当、あなたに会うのを楽しみにしてたのよ。本当にありがとう。』

私はそんなお礼を言われる様な事何もできてないのに。むしろ、私の方がパワーもらってたのに。っていう気持ちでいっぱいでした。

お婆さんの横に行き伝えました。

『本当に出会えて良かった。ありがとうございました。お疲れ様でした。』と…

 

本当に出会えて良かったと思える人でした。

私の中では、今でもカメラを持って走り回ってる姿、キラキラ笑顔、鮮明に覚えてます。

お婆さんに出会えた事に感謝。

お婆さんに出会わせてくれた看護師さんにも感謝です。

 お婆さんから沢山学んだ事がある中で一番感じる事は

『死を覚悟した人ほど強い人は居ない。死を目の前にした人の笑顔は本当にキラキラしてた』

今でもカメラを持って走り回って、看護師さんに『走っちゃダメー』って怒られてるお茶目なお婆さんのまま私の心の中で笑ってくれてます。