白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

入院するまで その6

12月26日(月)“告知”

K先生は私に「青木さん、あのね、白血病は嫌だって言ってたんだけど、はっきりいうと白血病なの。」私は全身の血の気が一気に引いていくのがわかりました。そして、告知に立ち会った看護師さんのTさんは「大丈夫だよ。検査してみないとわからないからさ!」といつも言ってくれていました。私に「ごめんね、、、」と言ってくれたのは、検査結果を知っていて、知らないふりをしていたからなのかな、、、。でもそれは仕方ないのに「ごめんね、、、」って。私は別に気にはしていなかったし、看護師さんの仕事だから、、と思っていました。とてもやさしい看護師さんでした。私はK先生の「白血病です」の一言で、私はその後の話は全く覚えていません。“頭が真っ白になるってこういうことなんだ”と思いました。

 

(この先、告知の状況は旦那から聞いたことです。)

私はK先生の言葉の後、すごく深いため息をつき、下を向き、体がとても震えていました。旦那が手を握り、押さえつけても止まらないくらい震えていました。父と母が泣き、K先生の話を聞いていられない状態でした。私は頭の中が真っ白でK先生の話は全く聞こえませんでした。しばらく時間が経ち、少し冷静になってきました。私は子供たちのことがまず一番最初に浮び、「上の子は私が死んだらどうなる、、、下の子はまだ5ヶ月、、、、ママって呼ばれてない、、、呼ばれたい、、、子供たちと離れたくない、、死にたくない、、、」それだけが頭の中を駆け巡っていました。

 

「生きなきゃ!でも白血病は、、、死んじゃう、、、死にたくない、、、死にたくない、、、死んじゃうのかな、、、、。」そんな思いが私の頭の中いっぱいになりました。

涙ひとつでませんでした。あ然とした後、子供たちのこと、死んでしまうのか、、、、という思いで泣く間もありませんでした。私の中で「聞かなきゃ、、治るのか聞かなきゃ!聞かなきゃ!」と思ってはいても、治らないと宣告されたら、、余命宣告されたら、、、という不安がずっしりと心を押しつぶし、とても怖かったのを覚えています。

 

でも子供たちのことを考えると“聞かなきゃ!”と決意し、震える声をしっかり先生に聞こえるように「先生、、、治るんですか?」と聞きました。すると先生は、「白血病の中で一番早期死亡率が高いけど、それを乗り越えれば、一番治る可能性が高い白血病です。」と言われました。「治る!」そう言われた私は、その思った瞬間に、血の気の引いているはずだった私の体の足のつま先から体全体に、熱いパワーというかカッとした熱いものがこみ上げてきたのです。なんと表現していいのかわからないのですが、あれが人間の底知れぬパワーなのかもしれないと感じました。体が熱くなり、その後は死ぬ気がしませんでした。K先生の話を自分で聞くことが出来ました。

 

私の場合は、全身の99%がすでにガン化しているとのことでした。骨髄の写真を見せてくれました。画面びっしりにガン化した未熟な白血病の細胞が写っていました。気持ち悪い位でした。写真を見ても何がどうなのか、白血病をよく知らないので逆に興味が湧いてきました。自分が“病気”という自覚はあまりありませんでした。パソコンの写真を、席を立ち近くに行って旦那と一緒にみました。「へーーすげーーこれがガン細胞なの?!」と聞くとK先生とM先生は「これ全部!」と答えました。

 

「全部!ふーーん。」と旦那と私は言いました。ショックのあまり頭がおかしくなっていたのかもしれません。ケロっとしていましたから。

父と母は泣きっぱなしでした。見ていられませんでした。申し訳ない気持ちでいっぱいでした。父と母より先に死ぬのは、父と母に最大の親不孝だと思っていました。私は小さい頃から、父や母を困らせ、悩ませ、泣かせてきた超親不孝な子供でした。でも自分が病気になり、死と隣り合わせになった私が考えたことは、子供たちを残し、死にたくない!父と母にこれ以上悲しい思いをさせたくない。告知のときはそればかりを考えていました。

 

その後、席に戻り、再びK先生の話を聞きました。「白血病にはM0~M7まであり、青木さんのはM3の急性前骨髄球性白血病です。」この白血病は出血のリスクが高く、早期死亡が多いそうです。その後、先生は言いました。「青木さんの場合、血小板が人の約10分の1しかないのと“播種性汎血管内凝固症候群”DICも引き起こされているので、とても出血しやすい状態です。この急性前骨髄球性白血病には、ATRA(ベサノイド)というすごく良い薬ができて、一番治りにくい白血病から、一番治りやすくなったんです。」と言いました。私は”治る!“という希望がとても大きくなりました。

 

先生は「血小板やFFPの輸血をしながらいきます。ただ、今どこで出血するかわからない状態で、もし、脳や胃や腸や肺で出血が起きてしまったら、止まらないのでどうしようもなくなります。2週間がやまです。2週間を乗り切れば、治る可能性があります。」と先生は言いました。2週間、、、死と隣り合わせ、、、、、。でも私は死ぬ気がしませんでした。