白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

入院するまで

入院するまで・・・

 

2005年5月に子供が生まれ毎日、朝も夜も無いくらい忙しい毎日をおくっていました。
毎日、旦那は仕事が忙しく、朝早く、帰りは日付が変わることもありました。


育児におわれる日々・・・旦那とのすれ違い、喧嘩ばかりの日々・・・
自分の体調が悪くなってきても「産後の疲れ」と思っていました。

 

体も日に日にだるくなる一方・・・不正出血もあり病院に行き検査しても特に異常もなく、医師も『産後だからね・・・』と言われただけでした。旦那に「だるい・・・」と言っても「そ~~大丈夫??」


無関心さにさらにイライラ・・・唯一の休みの日曜日も仕事・・・仕事・・・・・・・・・・・・・・


「忙しいのはいいけど具合悪い時くらい二人子供いるんだから少しは協力して・・・」


祖母の協力をもらいながら「子供達のことだけはちゃんとしてしてあげなきゃ!!」と思い、体調不良なんて後回し。子供が保育園休みになれば「外で遊びたい!」「雪遊びしたい!」
そう言ってきました。私も気晴らしに・・と思い下の子を祖母に少し見てもらい、近所の子供達と遊んだりしていました。


両親が「気晴らしに!」とドライブに連れて行ったりもしてくれました。不思議と遊んでいると体のだるさは感じず、『精神的なものかな・・・」とも思いました。


そんな日々が続くうち体調は悪くなる一方・・・

その頃、下の子が「突発性発疹」で熱を出しおさまった頃に風邪をひいたのです。

私も咳が出始め、「うつった・・・」と思っていました。子供は治り私は微熱(37.8℃)が出始めたのですが、授乳もあるので薬を飲もうとは考えませんでした。それでも子供達を優先にと考えていました。


体は思うように動かず、祖母に子供のお風呂などお願いするようになり、横になる時間がふえました。
旦那は・・・夜遅くに帰ってきても顔合わせれば喧嘩・・・そんな日々にも疲れ寝たふりをした時もありました。段々、旦那にとって私の存在もわからなくなり、情けなくもなりました。


咳・微熱(37.8℃)・・・咳が出だすと止まらない・・・「子供に移っちゃうかな・・・」と心配していましたが、いつになっても誰にも移りません。

「おかしいな・・・」と思ってはいたけどそんなに気にはしていませんでした。食欲もどんどんなくなり、夜中に咳が止まらず眠れない事もありました。何故か、本田美奈子さんの歌が頭から離れず、テレビつけるといつも本田美奈子さんの番組でした。


白血病か・・・」私の中では白血病=死だと思っていました。何とも言えない嫌~な感じがしていました。
(ここまでは2005年5月から12月23日までの出来事です。)

つづく・・・