白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

入院するまで・・・ その4

12月26日(月) 朝から骨髄検査。何をどうするのか分からない、どのくらい痛いのか分からない・・・K先生と研修医のM先生が骨髄検査の説明をしてくれた。「胸と胸の間の骨からとります。」 と言われましたが・・・初めてだし、不安で説明もよく覚えていないんです・・・私は4歳の時、髄膜炎の検査で髄液を採った時の痛みをいまだに覚えていて、痛みに対してすごい嫌な思い出があり、体が痛みに耐えようと硬直してしまうんです。 そんなこと言っても検査しなければ始まらないので、心の準備を済ませ、いざ!!!タオルを顔にかけ、歯をくいしばり、こんな顔、誰にも見せられない位ひどい顔していたと思います・・・。 M先生が「大丈夫?」と声をかけてくれました。私は無言でうなづき、M先生が「じゃ、はじめますね。」と言い、「じゃ、まず、麻酔からいくよ。」と言うと今まで感じた事の無い何とも言えない痛みがおそってきました。歯をくいしばり、涙も出てきました。 体は足が攣るくらいガチガチになっていました。M先生が「大丈夫?次は骨の表面の骨膜にも麻酔するね。ここはよくしとかないと痛いから。」と言い、にぶい痛みが・・・もう私は、まな板の上の鯉・・・まさにそのまんま。でもM先生はとても優しく、声をかけてくれました。麻酔も終わり、一息・・・「次は骨髄をとるね。押される感じするよ。」とM先生。 痛みはないものの、太い針が刺さり上からすごい力で押されているのがわかりました。そして、M先生が、「じゃ、少し引っ張られる感じしるよ。」と言い、「1・2・3!」 麻酔が効いているから痛くないと思っていましたが・・・ありえない痛みが私をおそいました。ん~痛みをたとえるなら・・・子供を産むほうがまし。すねを思いっきり、カナヅチで殴られた感じ。 そんな痛みでした。骨髄検査も終わり、砂袋を胸に乗せ、安静1時間。一日の体力を使いはたした感じでした。

入院するまで・・・ その3 つづき

2005年12月25日(日) つづき

 

私は子供に血尿をどう説明していいか分からず、一瞬考え込み、「そうなの。何でオシッコが血なのか分からないから、お医者さんによく見てもらうんだ。」としか私の頭は働きませんでした。


私も不安で、自分がしていることも分からないくらいでした。しばらく、子供達、母、旦那と過ごし、子供達と母は帰りました。旦那は、何も私が言わなくても、そばにいてくれました。


一人になるのが嫌で、消灯の時間が近づくにつれ、言い表せないくらいの不安が襲ってきました。消灯時間になると、看護師さんが「旦那さん、泊まっていかれますか?」と聞いてきました。


私も旦那もつ付き添いは出来ないと思っていたので、私は「よかった・・・。」と、うれしかったです。旦那も、「家に帰っても気になって寝れないからよかった・・・。」と、お互い安心しました。


旦那は、冷たい床に、ゴザを敷き、その上に布団を敷き・・・何だか申し訳なく思いました。

夜はなかなか寝付けず、明日の検査の不安や、何の病気か・・・分からないからなおさら不安で、「骨髄検査って痛いだろうな・・・」「白血病じゃないよね・・・」「お家、帰れるよね・・・」「死なないよね・・・」「血小板減少性紫斑病ってなんだ・・・」などなど・・・


私は旦那に言っていました。旦那は、「大丈夫。明日の検査してみないと分からないからさ。今日はとりあえづ、寝たほうがいいよ。」と言ってくれました。


旦那が、「でもさぁ~、こんなクリスマスプレゼントほんと、いらないんですけどぉ~。」と言い「私も・・・」と言い、いつの間にか私も旦那も眠っていました。

入院するまで・・・ その3

2005年12月25日(日)


やはり夜中、ひどく咳込み睡眠不足・・・
子供はサンタさんからのプレゼントに大喜び!!!「ママ!!!サンタさん来た!!!遊ぼう!!!」と上の子は朝から嬉しそうでした。
その時のサンタさんからのプレゼントは、ウサギの乗り物と、ピンクのドレスでした。
旦那は、仕事・・・私は、日曜日だから、大きな病院でなく、町医者に行こうと思っていました。「遊ぼうよ!!ママ!!」と言っている子供に、「ママ、風邪ひどくなってきたから、病院行ってくるから、帰ってきたらね!!」と言い、祖母に子供を見てもらい私は、病院へ向かいました。


外は雪・・・駐車場に向かって歩いていると、隣の家のおばちゃんが外で雪かきをしていました。「おはようございます!!」と挨拶をし、おばちゃんに「どこいくの~??」聞かれ、私は、「風邪が治らなくて、咳が出始めると止まらないの・・・だから大きい病院に行くと混んでいるから町医者に行こうと思って。

それに、下半身に23ケ所もアザができたの。ほら!」と、足まくりをして見せました。そしたら、おばちゃんは、「そんなのおかし!!!!!絶対大きい病院に行った方がいい!!!ちょっと待って!!」と言い、その日の当番病院を調べてくれました。


「C病院だからすぐ行った方がいいよ!!!早くいきな!!!」と言ってくれました。私は「そうだよね・・・じゃ~行ってみます!」と言い、車にのりました。
私は子供と遊びたく早く帰って来たかったので運転しながら「C病院かぁ~・・・日曜だし混んでるんだろうなぁ・・・でも、せっかくおばちゃんが調べてくれたし・・・行ってみよう!」と決めC病院に電話をし、見てもらうことにしました。


案の定「今日はすごく混んでいます。今、救急車7台入っているので時間かかります。いいですか??」
と、言われましたが、私は、「はい。お願いします。」と言い、C病院へ向かいました。着くと雪で滑って転んだ人、風邪の人・・・救急車で来た人・・・
救急外来は人であふれていました。この日、私は車の仲間と遊ぶ約束をしていた為、時間かかることを電話で伝え、順番を待ちました。


「10時に受付をしたから午前中には終わるかなぁ~・・・」と思い、ボォーーーーーーーーーっとしていました。
昼を過ぎ・・・1時・・・2時・・・3時・・・「待ち疲れた・・・子供も待っているし・・・遊ぶ約束してるし・・・また明日外来に来ようか・・・」と思い看護師さんに「後どのくらいかかりますか??」と聞いてみた。返事は・・・「次ですよ!!」と言われ、待つことに。そしてしばらくすると、「青木さーん1診へどーぞー。」と病院に来て6時間後・・・やっと呼ばれた。女の先生でS先生。


「どうされましたか?」と聞かれ、「食欲がなくて、微熱が続いていて咳が出だすと止まらなくて、後、下半身に23ケ所アザができたんです。」と言い、足をみせました。
先生は「では、血液検査と、尿検査と、咳が続いているようなのでレントゲンと、食べてないとのことなので点滴しましょう。点滴の間に検査結果でるので。」
と言われ、「お願いします。」と言い、診察室を出て看護師さんに呼ばれるのを待ちました。しばらくして、看護師さんから「青木さん、まず、おしっことってきてください。」
とカップを渡されトイレへ。飲み食いしてないせいか、その日初めてのトイレでした。そして、私は、目を疑うものを見たのです。血尿・・・


血尿と言うより、サラサラしたオシッコとわほど遠い、少しドロっとした血のかたまりのようなものがでたのです。私は生理も近かった為初めは生理かと思いました。
でも明らかに違い、頭が混乱しました。トイレにある「具合が悪くなったら押す呼び出しボタンを押すべきか・・・」「オシッコをとってきてと言われたが・・・これは・・・


血だからとらなくていいんじゃないか・・・」「いや、とにかく、とってきてと言われているからとろう!」と決め、震える手でとりあえずとりました。トイレから出ても頭は混乱し、過呼吸のようになりながら「とにかく電話・・・」と思い、子供を見てもらっている母親に電話。「血尿が出た・・・」と、半泣きで言うと、「出ちゃったもんはしょうがないんだから、よく見てもらってきなさい!!」と言われ、フッと我に返り「そうだよな・・・でたもんはしょうがない・・・」と思い少し気が楽になりました。


次に、旦那に電話をしようとしましたが「どーせまた、仕事中に電話してきただの、親と仕事しているから何か言われんじゃないか・・・」と思いながらも、今まで我関せずの旦那にイライラしながらもやはり不安で電話をしました。


仕事、仕事、仕事の旦那に嫌気が差していたのもあり、「電話しても、私がこんなでも、仕事1番だから、あっそ。位なんだろうな・・・。」と思いながら「血尿がでた。これからレントゲンと血液検査。」と伝え旦那は一緒に仕事をしている親に電話越しに真由美が血尿でたって。」と伝えていた。旦那からの言葉はやはり、「仕事忙しいから、またなんかわかったら連絡して。」と言われた。



私は、「私は旦那にとってそんなもんかい。」と思い淋しいのと不安とで押しつぶされそうになりながらも救急外来へ戻り、オシッコを看護師さんに渡し、「血尿なんですけど・・」と言うと、看護師さんは「はい?えっ?」と言いオシッコを見て「あっ、はい。ここで少し待ってて。」と言われ待っていると「血尿でーす。」
とドタバタしだしたのをかんじました。

そして看護師さんは車椅子を持ってきて「レントゲン撮りに行こう。」と言われ、私は車椅子に座りレントゲンを撮りに。
レントゲン室に向かっている時私は看護師さんに「血尿が出ても帰れますか??」とアホな事を聞いて看護師さんは「ん~無理かな。」と答えました。


私は、「やっぱり・・・」と言い子供達が待っていることを話、遠まわしに帰りたい気持ちを伝えていました。レントゲンを撮る順番を待っている時、看護師さんに聞いてみました。
「血尿はどんな時でますか??」と。看護師さんは「ん~検査してみないと何ともいえないけど、石とかでもでるし・・・腰のあたりが痛かったりしたことは??」と聞かれ、「あぁ~あるかも。」と言うと、「じゃ~石かもね~。」と言われた。私はど~でもいいが帰りたくて帰りたくて。レントゲンを撮り、戻って次は採血。採血をしていると、子供がお世話になっている小児科の先生が救急当番でいらして、「あら、どうされたの?」と聞かれ「血尿でた。」と言うと、「今?そっか。これから検査なんだね。お大事に。」
と言ってくれました。点滴を刺し点滴室へ。ベッドに横になり検査結果を待っていました。


しばらくして、旦那が病院に来てくれました。「どんな?」と聞かれたけど、私にしてみたらどんなも、こんなも無い位、不安と、恐怖・・・


何より子供の所へ帰りたい気持ちでいっぱいでした。でも、正直、旦那の顔を見てホッとしている自分がいました。私は旦那に「帰りたい。大丈夫だよね・・・帰りたいなぁ~。」
と何度も何度も子供みたいに言っていました。点滴が半分位になった頃、S先生が真剣な顔をして私の所に来ました。「このまま入院してください。血小板が、人の十分の一しかありません。」と言われました。


私は、「意味がわからない。入院しなきゃなのはわかった。でも、今日はクリスマスだし、子供達も待っているから、明日必ず入院するから、今日は、帰らせてください。」と私は頼みました。でもS先生は「今外に出て、雪で滑って転んだら命取りになります。普通の生活が危険なんです。」
と、さらに私の頭の中は混乱しました。黙っている私にS先生は、「今、血液内科の先生に連絡をとったのでこのまま病棟に上がってください。」と言われました。


旦那は私が「何だろうね・・・大丈夫だよね・・・」と言うと、「しっかり検査して、それから。大丈夫!!」と言ってくれました。遊ぶ約束をしていた仲間も駆けつけてくれました。


病棟に上がって、個室に入り、病衣に着替え旦那と、仲間と話をしていました。私はトイレに行きたかったのですが、また、血尿を見るのが怖いのと嫌なので行きたくなかったけど、仕方なくトイレへ・・・案の定、真っ赤・・・。ため息しか出ません。ベットに座り、しばらくすると、血液内科のK先生が走ってきました。


K先生は息を切らし、K先生の体が冷えていたのか、外の冷た空気が、病室に入ってきました。K先生が、「元気そうなのにね~。足見せて。」と私の足の紫斑をみました。


K先生は「じゃぁ~まず、いろいろ聞かせてください。」と言い、家族構成、お酒は飲むか飲まないか。タバコは吸うか吸わないか・・・・・などなど・・・・・聞かれました。
そして最後に、「検査してみないと何とも言えないけど、白血病っぽくはないね・・・血小板減少性紫斑病かもしれない。まぁ~明日、骨髄検査してみてからだな。」と言われました


私は血液内科と言う課があることすら知りませんでした。K先生の「白血病っぽくないね・・・」の言葉で初めて「まさか・・・」と思いました。仲間は帰り、旦那は着替えを取りに、私は病室で一人・・・時間がピタッと止まったようでした。「子供達は何をしているかな・・・。」と考えていました。あれもしたい、これもしたい・・・人は普段当たり前の様にできている事が突然、「入院してください。」と言われできなくなると、無性にやりたいことが思いつくのだ。でも、私の中では、「血小板減少性紫斑病なら、二週間だし!」と自分に言い聞かせていました。


旦那が戻ってきて、私の母も子供をつれてきてくれました。上の子がトイレに行きたいといいトイレに入って尿を溜める袋を見て、「ママ、何でオシッコ赤いの??血だよ。」
と言ってきました。

つづく・・・

入院するまで・・・ その2

2005年12月24日(土)


保育園が休みで上の子が「ママ、雪遊びしよう!!かまくらつくって!!」と言われ祖母に下の子を見てもらい、ソリとスコップをもち外へ出たら、近所の子供達も遊んでいました。皆で一緒に遊び、楽しい時間を過ごしました。


その場でお友達のママ達に「具合どう??」と聞かれ「大丈夫!!でも咳が出だすと止まらなくて・・・でも誰にも移らないの・・・」
そんな会話をしていました。

その日の夜はクリスマスパーティー!!クリスマスも旦那はいませんでした・・・

子供と三人でケーキを食べ、サンタさんを楽しみに子供は眠りました。
久しぶりに10時頃旦那が帰ってきました。ご飯をすませお風呂から上がった旦那に私は寝ている子供達を「見てて・・・」とお願いし私もお風呂に入りました。そして、私は自分の異変に気付きました。


昨日まで何も無かった下半身に500円玉位の紫斑・・・アザが沢山あるのです・・・数えてみたら23ケ所・・・下半身だけで23ケ所・・・

「なんじゃこれ・・・」それでも「ま~子供と遊んでいてどこかにぶつけたかな・・・」位にしか考えていました。


お風呂から上がり旦那に「下半身だけで、23ケ所のあざがあるんだけど・・・」と言ったら旦那が「それ、おかしくね??病院いきな。」

と言われ、とりあえず旦那のお母さんに電話してみることにしました。(旦那のお母さんは元看護師)

「下半身だけで23ケ所、あざがあるんです・・・何でしょうかね・・・」と聞くと「なんとも言えないなぁ~病院いってみてもらいな。」と言われ、次の日病院へ行くことしました。

つづく・・・

入院するまで

入院するまで・・・

 

2005年5月に子供が生まれ毎日、朝も夜も無いくらい忙しい毎日をおくっていました。
毎日、旦那は仕事が忙しく、朝早く、帰りは日付が変わることもありました。


育児におわれる日々・・・旦那とのすれ違い、喧嘩ばかりの日々・・・
自分の体調が悪くなってきても「産後の疲れ」と思っていました。

 

体も日に日にだるくなる一方・・・不正出血もあり病院に行き検査しても特に異常もなく、医師も『産後だからね・・・』と言われただけでした。旦那に「だるい・・・」と言っても「そ~~大丈夫??」


無関心さにさらにイライラ・・・唯一の休みの日曜日も仕事・・・仕事・・・・・・・・・・・・・・


「忙しいのはいいけど具合悪い時くらい二人子供いるんだから少しは協力して・・・」


祖母の協力をもらいながら「子供達のことだけはちゃんとしてしてあげなきゃ!!」と思い、体調不良なんて後回し。子供が保育園休みになれば「外で遊びたい!」「雪遊びしたい!」
そう言ってきました。私も気晴らしに・・と思い下の子を祖母に少し見てもらい、近所の子供達と遊んだりしていました。


両親が「気晴らしに!」とドライブに連れて行ったりもしてくれました。不思議と遊んでいると体のだるさは感じず、『精神的なものかな・・・」とも思いました。


そんな日々が続くうち体調は悪くなる一方・・・

その頃、下の子が「突発性発疹」で熱を出しおさまった頃に風邪をひいたのです。

私も咳が出始め、「うつった・・・」と思っていました。子供は治り私は微熱(37.8℃)が出始めたのですが、授乳もあるので薬を飲もうとは考えませんでした。それでも子供達を優先にと考えていました。


体は思うように動かず、祖母に子供のお風呂などお願いするようになり、横になる時間がふえました。
旦那は・・・夜遅くに帰ってきても顔合わせれば喧嘩・・・そんな日々にも疲れ寝たふりをした時もありました。段々、旦那にとって私の存在もわからなくなり、情けなくもなりました。


咳・微熱(37.8℃)・・・咳が出だすと止まらない・・・「子供に移っちゃうかな・・・」と心配していましたが、いつになっても誰にも移りません。

「おかしいな・・・」と思ってはいたけどそんなに気にはしていませんでした。食欲もどんどんなくなり、夜中に咳が止まらず眠れない事もありました。何故か、本田美奈子さんの歌が頭から離れず、テレビつけるといつも本田美奈子さんの番組でした。


白血病か・・・」私の中では白血病=死だと思っていました。何とも言えない嫌~な感じがしていました。
(ここまでは2005年5月から12月23日までの出来事です。)

つづく・・・