白血病からの虹色ライフ

1981年生まれ2児の母。2005年のクリスマスの日 私はこの日「急性前骨髄球性白血病」の診断を受けました。 運命を変えたこの日から今日に至るまでの、死を見つめながらの心の葛藤。そして病気をきっかけとして、病気をしたからこそ強いつながりを持つことができた、家族はじめ周りの方々。そしてなによりも私自身の心の変化を綴っていこうと思います。

出会いと別れ②

7ヶ月の入院の中で、治療の合間、血液データが良いときだけ部屋の外に出れました。

部屋の外といっても病棟の廊下だけ。

でも部屋から出れることだけでも嬉しかった。

何よりも、面会に来てくれた人達をエレベーター前まで一緒に歩いていける事が嬉しかった。

私の病室は一番奥だったので血液内科の病室前を通るとき、同じ様にこの扉の向こうで病気と闘ってる人達がいるんだよな~って思いながら、一部屋一部屋前を通る時には全く知らない人達だけど心のなかで『頑張ってください。頑張ってください。』って言いながら歩いていました。

私の入院は7ヶ月。

看護師さんは

『この病院で一番長い入院あなたが一番長い入院だよ。人工呼吸機つけてる人以外で。血液の病気は長期入院になるけど、入れ替わりも激しい病棟だよね。』

そんな話をしながら歩いてると、自分も病気なのに他の人にも元気になってほしちって気持ちが強くなってたのを鮮明に覚えてます。

翌日、また同じ様に廊下にでて歩いていると昨日まで名前があったはずの部屋が空き部屋になってたり、急変でバタバタしてるのが聞こえたり、夜中に泣き声と叫び声で目が覚めたり…本当に生死がハッキリ見える病棟だなって感じてました。

でも、嫌だな~って感じた事はなくて、これが現実なんだなぁ。。。って感じてました。

生死の分かれ目に自分も居ることをハッキリ自覚すればするほど、私は『生きたい』って気持ちが強くなってた。

おばあちゃんの言葉がしっかりと私の中で残ってたから、私が元気になったら一時帰宅の時にいつもおばあちゃんが食べに行ってたコロッケ定食を私が食べに行ってたやる!!って思ってました。

 

次の治療が始まるまでの数日間、廊下を歩いてると2つ隣の人が偶然出て来て、私に声をかけてくれました。まだ40代位の女性でした。

『もしかして、あなたが若いのに入院してるっていう子???』って。

私が病棟で一番若くして入院してるって前に看護師さんから聞いてたので

『はい。たぶん私の事だと思います。』

と答えると、その女性は私の手を握り

『会いたかったの!!私なんか病気になって滅入っちゃって毎日泣いてばっかで。そんな時に看護師さんが、もっともっと若くてお子さん生まれたばかりなのに入院してきてる人がいて、とても前向きに治療してる女性がいるんですよ。って話を聞いてて本当に会いたかったんだ。』

って話をしてくれました。

ちょうど夕飯の時間だったこともあり、病棟のラウンジで一緒に夕飯を食べることにしました。

その女性は悪性リンパ腫でした。

私は白血病

病気は違うけど、同じ血液の病気です。

家族の事、病気の事、他愛もない話、いろーんな事話していつも

『また明日ね!』ってそれぞれの病室に戻りました。

私は編み物や手芸がとても好きで、いろんな物を作ってて、ラウンジで会ったときに見せたら、その女性も凄く手先が器用で編み物、パッチワーク、ぬいぐるみ等作ってたんです。それから私もいろいろ教えてもらったりと時間の許す限り、その女性と一緒に過ごしてました。

治療に入る時は『お互い頑張ろう!また会える日まで!!』って言って、病室に入りました。

そう。。。治療1回目1回目が命懸けだから。

『次』とか『明日』とか『後で』とか本当に無くて、1日1日が全てで、治療始まったら時の流れに身を任せるだけで、頑張るとかそういうんではなくて、とにかく時間がたつのをまつしかない治療。

抗がん剤の副作用で吐いても吐いても、熱が出ても、輸血で蕁麻疹がでても、苦しくても、痛くても、ツラくても、ただただ時間が過ぎる事だけを待つのが治療で。

今がこんなにツラくても時間がたてば身体が回復してくれると信じるしかなくて、本当にベッドに貼り付けされたみたいに動けなくても、また部屋の外の景色を見る為、子供達の顔を見るために、治療に集中してました。

 

とはいえ、考え込んでも仕方ないので、私は何かしてないとダメな性格なので、ゲーゲー吐きながらも、絵書いたり、物をつくったり、プレステ繋いでボンバーマンしてたりしてました。

気分転換大事です。

病気の事、考えるな!っていうのは難しいけど、考えてもどうにもならないし、ツライ治療だけど、それも全て自分の為だし、結果は付いてくるものだって思ってました。

ツライ治療を乗り越えたから良くなる保証もないけど、やれることはやって、それで結果が悪くても納得できるし、それで結果良かったら喜べるから。

そう思って日々の治療には真っ正面から向き合っていました。

『また会える日まで!』って約束した人に会う為にも。

そんな気持ちで治療してました。